紙谷慶五郎さんほか拉致事件

紙谷慶五郎(かみやけいごろう)さん
明治45(1912)年3月5日生まれ、当時55歳。北海道雄武町在住。漁師

紙谷圭剛(かみやけいご)さん
昭和16(1941)年3月20日生まれ、当時26歳。北海道雄武町在住。漁師

紙谷礼人(かみやのりひと)さん
昭和23(1948)年4月11日生まれ、当時19歳。北海道雄武町在住。漁師

紙谷速水(かみやはやみ)さん
昭和26(1951)年1月9日生まれ、当時16歳。北海道雄武町在住。漁師
昭和42(1967)年11月7日、父・紙谷慶五郎さんは所有する漁船「圭運丸」(6トン)に3人の息子(圭剛さん、礼人さん、速水さん)とともに乗船。午前6時頃に北海道雄武町元稲府漁港を出港し、港から7キロ付近にてイカ底建て網漁を操業。帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出たまま失踪。当時はベタなぎだったが、潮の流れが速く、他の僚船は操業を中止。
現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。船体は付近の海底にて発見されたものの、引き上げ作業に失敗。船の油や残留物などが雄武町付近の海岸でも発見されたが、乗組員4人の遺体は発見されないまま捜査は打ち切られた。船も引き上げられなかった。
のちに「元稲府漁港から西北約2キロの距離にあるウエンコタン岬の東側で圭運丸が3隻の船に囲まれていた、また当日の午前11時頃、自宅の近くで『紙谷の船が転覆した』と言った見知らぬ男がいた」との証言があった。当時、雄武町には北朝鮮工作員・高大基とその妻になった渡辺秀子さんがいた。
荒木和博
特定失踪者問題調査会代表、拓殖大学海外事情研究所教授。昭和31(1956)年東京生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。民社党本部書記局勤務、現代コリア研究所研究部長を経て、拓殖大学海外事情研究所専任講師となり、助教授を経て、平成16(2004)年より教授。北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)の活動を経て平成15(2003)年1月、特定失踪者問題調査会を立ち上げ代表に就任。元予備陸曹長。予備役ブルーリボンの会代表
葛城奈海
ジャーナリスト・俳優。防人と歩む会会長。皇統を守る会会長。東京大学農学部卒業後、自然環境問題・安全保障問題に取り組み、森づくり、米づくり、漁業活動等の現場体験をもとにメッセージを発信。2011年から尖閣諸島海域に漁船で15回渡り、現場の実態をレポート。北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」でアナウンスを担当。日本文化チャンネル桜「Front Japan 桜」レギュラー出演中。元予備三等陸曹。予備役ブルーリボンの会幹事長
